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- 本記事の内容
・裁量労働制とは
・裁量労働制は諸刃の剣
・フランスの裁量労働制に関する規制
・フランスの裁量労働制を実際にささえているしくみ
・まとめ:裁量労働制の危険性
- 本記事の信頼性
最近日本では、「仕事の効率化」や「ワークライフバランス」の観点から、海外での働き方に関心が高まっています。日本と対照的な例として、海外での裁量労働制について聞かれることが多いです。
フランス企業での実体験から、実際のところはどうなっているのか、フランスでの裁量労働制の実情をご紹介します。
裁量労働制とは
裁量労働制とは、あらかじめ労使協定で「みなし労働時間」を決め、実際の労働時間がそれより長くても短くても、「決められた時間分を働いた」とみなす給与制度です。
時間に対して賃金を払うのではなく、成果に対して賃金を払う制度なので、時間で成果を測るのに適していない専門職などを対象に、欧米諸国で広く普及しています。管理職や経営陣も裁量労働制で運用されることが多いです。
フランスでは、裁量労働制 (正式には「包括日数労働制」)が、週35時間法(参照:「有給休暇が8週間!35時間法の光と影【フランス人の働き方と休み方 3】」)と同時に2000年に導入されました(オブリ法第2法)。「一年間に一定の日数を、一定の賃金で働く」という、勤務日数で雇用契約を結ぶもので、主に、仕事を所定の労働時間に合わせる必要がなく、自主的かつ自律的に仕事が進められる管理職に適用されています。
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裁量労働制は諸刃の剣
私自身は、フランスの裁量労働制の恩恵を受け、そのメリットを十分に享受することができましたが、反面、近年のフランスの状況を見ていると、裁量労働制の運用の難しさと危険性を強く感じます。
裁量労働制のメリット
日本企業からフランス企業に転職し、裁量労働制で働くようになり、日本で働いていたころより格段にストレスが減りました(参照:「フランス人は残業をしない、は本当か?【フランス人の働き方と休み方 4】」)。
仕事のペースや出社時間の自由度が上がって仕事の効率が良くなり、また、自分で自分の仕事を管理できている感覚が持てることで、充実感が高まったと思います。
例えば、タイトなスケジュールの海外出張の際は、出張先の夜中や行き帰り機内でもエンドレスで働くこともあれば、逆に、仕事のペースに余裕のある時には10時過ぎに出社して4時ごろ退社することもありました。
成果主義の契約なので、成果を上げるために効率良く働けば、働く時間帯や仕事の進捗について会社(上司)が口出しすることはありません。年一回の上司との面談で、次年度の達成目標と給与に合意すれば、その内容に沿って、自由に仕事を進めることが出来ました。
私自身のケースでは、時差が大きい海外との業務が多く、もともと時差を調整する必要があったので、裁量労働制は仕事のスタイルに合わせやすいというメリットもありました。
裁量労働制のデメリット
ただ、成果主義は労働時間を管理されない自由がある一方、エンドレスな残業になってしまう危険が高いです。会社や上司に押し付けられてそうなるのではなく、労働者の自己管理に基づいた制度の特性が、自分で自分をオーバーワークに追い込みやすい面があることを警戒すべきだと思います。
そもそも、本人も含めてだれも労働時間をチェックしていないので、逆に、長すぎる残業を制止するストッパーがなく、高度な自己管理が必要になります。特に、責任感や上昇志向が高い人ほど簡単にオーバーワークに陥るリスクが高いです。
管理職になるような人は、もともと責任感が強く、仕事中毒気味の人が多いので、裁量労働制によってさらに仕事中毒に拍車がかかってしまう危険があります。
また、家でも働けるというのは一見理想的なようですが、「家でさぼっていると思われたくない。目に見える成果を出さなくては。」という心理が働き、オーバーワークを後押ししてしまうことになりかねません。
近年フランスでは、裁量労働制で働く人の割合が増え、長時間労働が拡大する傾向にあります。「バカンスの国」フランスといえども、長時間労働による過労や、仕事のプレッシャーによる鬱が社会問題化しています。
フランスの裁量労働制に関する規制
裁量労働制は、ともすれば、経営者が残業代等の削減を目的として制度を悪用する危険があるため、フランスで裁量労働制が導入された際には、厳しい適用規制が定められました。
裁量労働制の適用にあたっては、下記に挙げたすべての条件を満たす必要があります。
フランス労働法典、Article L3121-53 - Article L3121-66(*1)
(カッコ内は、フランス労働法典の条項)
(1)この制度を適用できるのは、労働時間の配分を自由に決めることができ、且つ、事業所における通常の就業時間を適用することが不可能な管理職、または、労働時間を予め予測することが出来ず、且つ、労働時間の配分の裁量をゆだねられた従業員に限られる。(Article L3121-58)
(2)事業所又は業界の団体労働協約に、同制度の内容と適用条件が示されていること。(Article L3121-63)
(3)従業員の事前同意があること、また労使間で、これに順ずる労働契約書を締結すること。(Article L3121-55)
(4)年間労働日数は、労働協約により決められるが、原則として、218 日を限度とする。当該従業員は、労働協約が認める日数内での就労が可能である。事前に定められた労働日数を超えて就労した場合、代休が付与される。(Article L3121-64)
(5)法定上の有給休暇(年30日)、週休(土日)、祝日、時短休暇が与えられること。(Cass. soc du 11-07-2012, n° 11-15.605) (*2)
(6)労働者が十分な休息を確実に取れるよう、適正な業務量とワークライフバランスが保たれているかについて、使用者が定期的に確認すること。(Article L3121-60)
(7)雇用主は、業務の量と賃金のバランスが適正に保たれているか、ワークライフバランスが保たれているかを確認するために、毎年一回従業員と面談を行うこと。(Article L3121-65)
(8)賃金について、仮に現行賃金が業務量や時間の負荷に対して低いと労働者が判断すれば、労働裁判所を通じて雇用主に不服と賠償金の申し立てを行うことができる。(Article L3121-61)
(9)勤務間のインターバル休息を、24時間のうち11時間以上、7日のうち24時間以上を連続で与えること(特殊な職種をのぞき、管理職を含むすべての従業員に適用される)。(Article L3121-65, Article L3131-1, Article L3132-2)
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「勤務間インターバル制度」とは、終業時刻から翌日の始業時刻の間に、一定時間の休息(インターバル)を設ける制度です。勤務終了後、一定時間以上の「休息時間」を設けることで、働く方の生活時間や睡眠時間を確保するものです。
日本では、「働き方改革関連法」に基づいて、前日の終業時刻から翌日の始業時刻の間に一定時間の休息を確保することが事業主の努力義務として規定されました(2019年4月1日施行)。(*3)
EU では、加盟国に共通する労働基準として「勤務終了後に 連続11時間の休息期間を確保する」ことを定めています。(「EU労働時間指令」1993年制定)
フランスでは、「勤務間のインターバル休息を、24時間のうち11時間以上、7日のうち24時間以上を連続で与えること」が管理職を例外とせずすべての従業員に適用されることが定められています。(Article L3132-2)
*1 : Code du Travail (version en vigueur au 26 février 2021) https://www.legifrance.gouv.fr/codes/texte_lc/LEGITEXT000006072050/2021-02-26/
*2 : Cour de cassation, civile, Chambre sociale, 11 juillet 2012, 11-15.605, Inédit https://www.legifrance.gouv.fr/juri/id/JURITEXT000026189649/
*3 : 厚生労働省 勤務間インターバル制度 https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/jikan/interval/interval.html
フランスの裁量労働制を実際にささえているしくみ
フランスでの実際の体験から、フランスの裁量労働制を支えているのは、上記のような厳しい適用規制はもとより、法律では定めきれない、フランス社会の素地にあると考えます。
裁量労働制は、運用を間違えれば暴走しかねない、危険な制度です。フランスでも問題がないわけではないですが、裁量労働制がある程度うまく機能してきたのは、下記の4点が下地となって支えているからだと思われます。
1. ジョブディスクリプション(職務記述書)の浸透
フランスでは、裁量労働制が適用される職種以外でも、ジョブ型雇用が基本となっているので、ジョブディスクリプションが広く社会に浸透しています。企業側も従業員側もジョブディスクリプションを元に業務内容の話し合いや給与交渉をすることに慣れているので、裁量労働制を適用するための下地がすでにあると言えます。
ジョブディスクリプションに記載されていない業務を従業員にやらせて訴えられれば、企業側は敗訴の可能性が高いです。また、裁量労働制の適用にあたっては、ジョブディスクリプションで定義された仕事内容が裁量労働制に適した専門職でないと判断された場合、申し立てをされたら企業が裁判に負けることは確実です(*3)。
企業側だけでなく、従業員側もジョブディスクリプションの扱いに慣れていることにより、よくわからない書類にサインさせられてしまう、というようなトラブルを抑制していると考えられます。
裁量労働制を適用するためには、企業側と従業員側の双方が、ジョブディスクリプションの持つ法的な意味や影響を理解することが必要です。
(ジョブディスクリプションの記事にリンク)
*1 : Code du Travailフランス労働法典Article L3121-58 https://www.legifrance.gouv.fr/codes/article_lc/LEGIARTI000033003228/
2. 従業員が会社を訴えられるしくみ
フランスでは、労働関係の訴訟を扱う特別な裁判所が設けられていて、個別労働紛争を扱う一審が労働審判所(le Conseil du Prud’hommes)となっています(1806年設立)。この労働審判所での処理件数は毎年約15万件で(*1)、一方、日本での労働関係の受理件数は3000件程度となっています(*2)。
会社とのトラブルがあったときに労働審判所に申し立てをするのは、めずらしいことではなく、友人・知人の中でも労働裁判所に申し立てをした経験がある人が4-5人はいます。フランスの件数が日本の約50倍というのも、納得できる数字です。
労働審判所に申し立てをする費用は無料で(2013年までは35ユーロ。2014年からは無料。)、申し立ての手順なども、政府の公式サイトで丁寧に説明されています(*3)。実際には弁護士に依頼しないと難しいので、無料で申し立てをするのは現実的ではありませんが、弁護士に数百ユーロ払ったとしても、一従業員にとって、申し立てをするのは心理的にも金銭的にもそれほどハードルが高くありません。
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弁護士費用の例
裁量労働制のトラブルから、労働裁判所に申し立てをした友人の例では、弁護士に依頼するにあたって、はじめに基本弁護料700ユーロを支払い、勝訴した場合に雇用主側から支払われる補償金の8%を支払う、という弁護料の設定だったそうです。
雇用主は、上で挙げた法律をすべて順守していなければ、申し立てを受ける危険があり、また、労働審判所の判決の7割が従業員側の勝訴だという統計もあります(*4)。雇用側の企業の立場としては、従業員から訴えられるリスクが高いために、裁量労働制の運用に用心深くならざるを得ません。
*1 :Ministère du Travail, de l'Emploi et de l'Insertion, « Dossier Prud’hommes » https://travail-emploi.gouv.fr/actualites/l-actualite-du-ministere/article/dossier-prud-hommes-le-conseil-des-prud-hommes
*2 :最高裁判所事務総局行政局「労働関係民事・行政事件の概況」
*3 : Service-Public.fr « Saisir le conseil de prud'hommes »
*4 : Ministère de la Justice « Les chiffres-clés de la Justice 2020 »
3. 転職市場の自由度が高い
フランスでは、業界によって偏りがあるものの、雇用流動性が高いため、従業員を不当な条件で働かせていると、すぐに辞められてしまいます。
特に管理職は、転職しながら少しずつ責任範囲を広げてステップアップしていく形でキャリアを積む人が多く、企業間で人材が流動しているような状態なので、1社だけが同業他社より給与レベルが低かったり、不当に働かせたり、という状況になりにくいです。
労働者にとっては条件が悪ければ転職するという選択肢があるため、雇用側の企業の立場では、優秀な人材の離職を防ぐためにも良い条件を出さざるを得ないという状況です。
4. フランス人の文化特性
フランス人の文化特性として、個人の権利を重視し、権力者の言うことは鵜呑みにせず、自分が不利益をこうむりそうになると徹底的に戦って自分を守ることを良しとする面があります。
日本は、フランスの対極にあるともいえる文化特性で、個人の権利より集団の和を重んじ、お上(会社や上司)の言葉を素直に受け止め、周囲との対立を避けることを良しとする傾向にあります。また、明文化された契約より、暗黙の了解で成り立つ人間関係を大事にするという面もあります。
どちらが文化的に優れているということではなく、裁量労働制を運用する素地として向いているかいないかという視点で見ると、日本の文化特性の上に裁量労働制をのせるのは、非常に注意が必要と思われます。
また、フランス人の人生観・仕事観として一般的な、仕事はできるだけ要領よく終わらせてプライベートを最優先させるべき、という考え方が、エンドレスな残業に歯止めをかけているように感じます。
日本人の場合は、逆に、仕事を最優先させて周囲に迷惑をかけてはならないという責任感が、裁量労働制の暴走を後押ししてしまうのではと危惧します。
裁量労働制を運用するのに向いていると思われる文化特性を持つフランスでさえ、近年、労働環境の悪化が社会問題化している状況を見ると、日本で裁量労働制を運用するのはいかにリスクが高いかを強く感じます。
まとめ:裁量労働制の危険性
これまで見てきたように、フランスでは、裁量労働制の悪用で労働環境が悪化する危険を抑制するための、あらゆる要素がそろっています。
これだけ環境が整っているフランスでも、近年、裁量労働制による長時間労働化が進んでしまって、社会問題化しています。
私自身は裁量労働制で恩恵を受けた自分の経験からも、この制度はうまく運用することが出来れば、労働者の生活の質を大きく向上させることができると信じています。
ただ、上記で見てきたような、フランスで裁量労働制を支えているしくみが、日本では今のところどれも十分に整っていない状況で、裁量労働制の導入・拡大にはまだまだ多くの課題があります。今の日本の状況のままで導入したら、長時間労働の常態化、過労などの深刻な問題に発展する可能性が高すぎると思います。
また、フランスでの実際の体験からも、フランスとは正反対とも言える日本の文化特性を考えると、フランスで運用するより何倍もの注意を払う必要があると感じます。